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こんなのもいいだろう

バイトに出てきたのだが、モラルと言うか、考えの浅はかさを見た。
よく言うポリ系統のごみ箱に煙草の吸殻が一本、捨ててあった。
これを捨てた者は一体何を考えていたのだろう?
店内で吸うこと自体おかしな話だが、小火を起こしたらどうすろだろう?
見たところ水で濡らした痕跡は見当たらなかった。
『もしも』と言うのは個人的に好きではない(自分はよく使うのだが、この際、矛盾はどうでもいい)が、小火騒ぎになったら店の損害は大きい。
店の損害より、人の身の心配をするのが道徳的だろう。だが、そなったら確実に損害を被るのは店だ。
アルバイトだし、そこまで関係ないだろうと思うだろうが、面倒事になるのは避けたい。
散々言っているが、自分もその人間と大差ないないどころか、遥かに非人道的人間なんだと思う。
不謹慎な話だが、大事にならなくて残念がっているのだ。
これは非人道的ことだろうが、身近な前例や類似例がなくては人は他人事でしか理解出来ないのだと思う、故に、これが前例となれば暫くはこんなことは無くなるだろうと思う訳だ。
大事にならずによかったと思う反面、それを喜べないでいる自分がいる。
この相反する二つの思考は、自分と言う人格の存在を希薄にさせる。
幼少から刷り込まれた道徳と元来の合成の思考、これらは不思議なことに同時に存在出来る。
どうして、こんな奇怪な話をするのかと言うと某元首相の『自分を客観的に見ることが出来る』と言った感じの言葉を聞いて前から気になっていたからだ。
上の場合、道徳的な考えが主観的な視点から、非道徳的な考えは客観的な視点からの考えになるだろう。
これは自分が当事者であるが故に、成立する。
そもそも、自分を主観的に見ることが可能なのか?
この場合の見るは観るの方だろうか、自分は自分自身を主観的には観れないと考えている。
これについては深く語らないことにする。
自分に関しては自分自身を主観的に観ていない。あくまで、この世界を観察するための媒体と考えている。例えると顕微鏡のようなものだろうか。
これ以上は止めておこう。戻れなくなる。
見直してみると、唯の愚痴だな。
この愚痴を掲載する辺り、疲れてるな。
寝よう。
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No title

心理学でも
「相対する2つの思想」
ってのが必ず人間には備わっていて、それはおかしいことではない、それを
「葛藤」
と言ったりする。 みたいに本に書いてましたw 個人的な浅い趣味でうろ覚えですがw

しかしヴァイスとは関係まったくない記事でしたが、とても心を打たれました。
僕もアルバイトが禁煙の飲食店なので余計に意識します。
でも仮にそうなったら「一介のアルバイトの僕に責任も無いし、軽いしww」
って思ってる自分が居ます。

決して悪いことじゃないですよね、仕方が無いことです。
「顕微鏡」とても良い例ですね><

多分火事になったらちゃんと僕もAgent-Tさんも必死に消火活動すると思いますがねwww
お疲れ様でした^^b
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